セリフが聞かれたものではなく書かれたものであることは、いつでも分かります。文が完結しすぎている。誰もが考えを最後まで言い終える。誰も他人の言葉に割り込まない。情報が均等に配られすぎていて、どの場面も、二人の人物が観客に知ってほしいことをだいたい知った状態で終わる。
実際の会話は、途切れていて、断片的で、回避に満ちています。人は肝心なことの周りを回ります。訊かれていない質問に答えます。自分の言葉を自分で遮ります。間違ったことを言って、直しません。それを紙の上で捉え、しかも物語を前に進めることは、脚本の技術のなかでも難しいもののひとつです。
紙の上で読めるセリフと、画面で成立するセリフを分けるものを見ていきます。
台詞そのものが要点ではない
書き始めの脚本家の多くは、セリフとは人物が何を言うかだと考えます。実際には、人物が何を望み、それを得るために何をしているかの問題です。
すべての台詞は行為です。「今度、食事でもどう?」と言う人物は、こちらから手を伸ばしています。「疲れて見えるね」と言う人物は、心配しているのかもしれないし、優位を示しているのかもしれないし、話題を変えているのかもしれない。「何のことか分からない」と言う人物は、はぐらかしているか、嘘をついているか、時間を稼いでいる。言葉そのものはどれかを指定しません。
台詞を書くときに問うてください。この人物はいま、この瞬間に、この言葉で何をしているのか。答えが「筋を説明している」「経緯を説明している」なら、その台詞は書かれたものに聞こえるでしょう。何かをしている人物、つまり追い、はぐらかし、試し、責め、慰めている人物は、成立するセリフを生みます。
サブテキストは選択肢ではない
サブテキストとは、人物が言うことと意味することの隔たりです。意味のある会話のほとんどに存在します。人間は感じていることの大半を直接には言わないからです。難しいことには横から近づく。踏み込む前に探る。確信するまで手を出さない。
互いに恋していてまだそれを言っていない二人の場面は、ほとんどすべてがサブテキストです。どちらも「あなたを愛している」とは言わない。代わりに別のことで言い争い、とっくに終わっているはずの会話を引き延ばす口実を見つけ、言い間違えてすぐに言い直す。恋は、口に出されないままセリフの中にあります。
初心者がしがちな失敗は、サブテキストを早く解いてしまうことです。二人が思っていることをそのまま言う場面は、場面ではなく要約です。核心の周りを回らせてください。人物が認める前に、観客が事態を理解するようにしてください。認める瞬間は、先延ばしにされていたほうがずっと強く着地します。

割り込みと未完
現実の人の話し方を見てください。文は終わりません。誰かが考えを言い始め、遮られ、別の考えに移り、また戻る。二人が同時に話す。誰かが「私はその、」と言いかけて止める。相手がもう答え始めているからです。
これは見た目より書くのが難しい。どの未完の考えを残し、どれを削るかを決めなければならないからです。原則はこうです。意味や力関係を変える割り込みと未完は残す。ただの写実的な雑音は削る。
脚本の書式では、割り込みはダッシュで示します。
エレノア
私はただ、もしかしたら二人で -
ジェームズ
だめだ。それはうまくいかない。ダッシュは、エレノアが遮られたことを役者と読者に伝えます。未完の台詞もなお何かを語っていることに注意してください。エレノアは、問題を解けると信じている何かを提案しかけていた。ジェームズの先回りの「だめだ」は、彼女が何を言うかをすでに分かっていて、拒むと決めていたことを伝えます。台詞二つ、情報は多く、そのどれも直接には言われていません。
一般ではなく固有
「あなたが嫌い」は一般です。「この結婚に七年を無駄にした」は固有です。「そんな口をきかないで」は一般です。「あなたは友達の前で母を馬鹿だと言った」は固有です。
一般的なセリフは一般的な人物を生みます。固有のセリフ、つまりこの状況のこの人物からしか出てこない台詞が、人物を実在させます。
固有さの見つけ方は、その人物の来歴、相手との関係、いま望んでいることを踏まえて、この主題についてこの人物なら何と言うかを問うことです。貧しく育った人物は、裕福に育った人物とは金の話し方が違います。嘘をつかれてきた人物は、そうでない人物とは信頼の話し方が違います。
有効な練習があります。書いた台詞をひとつ取り、どの物語のどの人物でも言えるかを問う。答えが「言える」なら、もっと固有にしてください。セリフは、この人のものであって他の誰のものでもない、と感じられるべきです。
声を書き分ける
きちんと書かれた脚本では、人物名を隠しても、台詞だけで誰が話しているか分かるはずです。人物にはそれぞれ固有の声、つまりリズム、語彙、口ぶりの癖があります。
書き分けとは、全員が方言や変わった話し方をすることではありません。人物は違う人間であり、違う来歴、違う教育、違う感情の温度、違う会話の戦略を持つがゆえに、違う考え方をし違う話し方をする、ということです。
実務的なやり方をひとつ。主要な人物それぞれに、脚本を通じて一貫する話し方の癖を与えます。ある人物は質問に必ず質問で返す。別の人物は文を最後まで言わない(前述のとおり)。また別の人物は私的な会話でも必ず職業的・専門的な言葉を使う。感情を臨床用語で語る医師、感情のもつれを主張の構造で語る弁護士。一貫して使えば、これらの癖はあざとくならずに書き分けを作ります。
情報の問題
脚本の各場面は、物語を前に進め、観客に新しい情報を与えなければなりません。セリフはその情報を届ける主要な道具です。技術上の課題は、届けながら、届けていることを見せないことです。
説明のためのセリフ、つまり観客に必要な情報を伝えることだけが目的の台詞は、初稿でもっともよくある失敗です。「ご存じのとおりボブ、この会社は二年前の合併以来ずっと苦しい」は説明台詞です。人物はボブにではなく観客に話しています。ボブはもう知っています。
直し方は、説明の中に葛藤を見つけることです。互いに知っていることを言い合わせるのではなく、一方が他方の持つ情報を必要とし、他方にはそれを易々と渡さない理由がある状況を作る。説明は葛藤の周りではなく、葛藤を通して届きます。
もうひとつの直し方は、別の仕事をしている場面の中に説明を埋めることです。表向きは口論の場面が、説明を弾薬として運べます。表向きは誘惑の場面が、来歴を親密さとして明かせます。観客は、注意を引きつける何かを観ながら情報を受け取ります。
声に出して読む
セリフのもっとも確かな検査は、声に出して読むか、誰かに読んでもらうことです。紙では見えない問題が、口にした途端に現れます。ひと息で言うには長すぎる文、発音しにくい語のつながり、自然に感じられないリズム。
自分で読むよりよいのは、役者に初見で読んでもらうことです。役者は不自然な改行で本能的に止まり、流れない文でつまずき、どの台詞が演じる手がかりを与えどれが与えないかをその場で示してくれます。一度のホン読みが、何週間の推敲でも見つからなかった二十の問題を洗い出すことがあります。
劇作家がしばしば上演前に読み合わせで戯曲を育てるのはこのためです。セリフは紙の上だけでなく、部屋の中で機能しなければならない。脚本家に同じ機会が常にあるとは限りませんが、原則は同じです。言葉を頭から出して、できるだけ早く空気に触れさせること。
罵り言葉と俗語について
罵り言葉は様式の選択であって、写実の要件ではありません。現実の人は罵るのだから本物のセリフには罵りが要る、と考える書き手がいます。実際に多用する人もいます。しかしその選択は、写実への抽象的な忠誠ではなく、人物とトーンから来るべきです。
実務的に言うと、脚本の中で罵りが過剰だと、人物の声ではなく精度の代用として読まれます。主人公の台詞がすべて悪態を含んでいれば、悪態は何も意味しなくなり、ただの雑音になります。強い言葉は、それが意味を持つ瞬間のために取っておいてください。
俗語は早く古びます。そして書き手の意図しない形で、脚本が書かれた時期を露呈しがちです。時代物の俗語は調べる必要があります。現代の俗語も、正確に使うかぎり問題ありません。誤用された俗語ほど早く本物らしさを壊すものはなく、若い人物ではとくにそうです。
すべての場面の最後の一行
場面の最後の台詞は、次に何が起きるのか知りたいと観客に思わせるべきです。引きという意味ではありません。すべての場面が明かしで終わるわけではない。何かが変わり、その変化にまだ見ていない帰結がある、という意味です。
二人が互いを理解し、状況が片づいて終わる場面は、存在する必要のない場面です。場面の終わりに何も変わっていないなら、その場面はそこにあるべきではありません。そして何かが変わったなら、最後の台詞はその変化を映し、いま起きたことの重さとともに着地すべきです。
観客が覚えているのは最後の一行です。すべてが正しくなったあと、いちばん最後に書き、それにふさわしい手間をかけてください。
